喋るのではなく喋らせる
口へたや人見知りを劣等感として気にしてしまうと言うこって
貴男においてしゃべることやターゲットをトークで楽しませることについての
責任感が異常に強いと言うことも有りますでしょう。
- 私が喋ってこの場を盛り上げなくては・・・
- 彼と喋って私が上手に話せなくて嫌な想いをさせてしまったら・・・
等、しゃべることにあたってすさまじく、責任を感じていることだと想いますでしょう。
もちろん、貴男が巧みにしゃべることが出来れば問題無いだろう。
だけども、何も貴男のみが一生懸命しゃべる必需も無いのなのです。
要はそのようなしゃべると言うコミュニケーションでおたがいが楽しければ其れでいいのであるから。
口へたや人見知りとなるとしゃべることが苦痛で有ると言うのは有りますでしょうが
其れでもしもゃべることが楽しくなる話題だって有りますだろう。
例を挙げるなら、口へたや人見知り同士で「口へた、人見知りにおいて」の有る有るを
言い合ったりしたなら案外楽しいかもしもれ無い。
貴男のスキな事や、趣味にあたっての事細かなことをきかれると
其れについてしゃべるのが楽しくなっちゃうことって有るだろう。
理解しやすくいうと、其れを貴男もあいての人に
巧みに質問をして相手がしゃべるのを楽しくさせてあげればいいのです。
ターゲットも楽しいことなのですし、貴男も其れをきくだけなので気が楽になり
どちらにすんごくいいことなのなのです。
ターゲットの趣味や好きな分野がわかるのなら、其れを掘り下げて相談等したり
趣味がわから無いのならストレートに趣味等を相談したならいいのだ。
そのような趣味を知ら無い時でも
「其れってどういったようなのだか?」と
きけば快く答えてくれるだろう。
言う迄もなく、尋問のようにクエッションを繰り返せばいいってものでもございません。
スキなことや趣味を話して楽しくなれるのは、
ターゲットのほうも同じ趣味を持っていて共感しあえるときもあたりまえなのだけれど
其れを聞いてくれるターゲットの人も楽しそうに聞いてくれたり、
関心津々で聞いてくれたりするときなのだ。
というわけで、あなた自身が関心無さそうに聞いていたり
インタビュアーのように事務的に聞いているのみでは駄目なのです。
楽しそうに聞いたり、関心津々で有ると言う意向を表しながらきくようにする。
口へたや人見知りを治したい根本の理由は貴男が喋れるようになるではなく、
楽しく巧みなコミュニケーションを取るようになることだ。
こういう聴き役になることも、あいてに楽しく喋らせることも
真実のコミュニケーション能力だと想いるのだ。